7月1日
国民安全の日
童謡の日
国民安全の日
1960年(昭和35年) 5月の閣議で、
産業災害・交通事故・火災等の災害を図る為にこの日が
制定されました。
全国安全週間が、7月1日〜7月7日とされており、
その中でも暑さで気の緩みから事故が多発する、
夏場の1日めが「国民安全の日」に選ばれております。
毎年この日に合わせ、
災害発生の防止に功績のあった者を対象に
※安全功労者内閣総理大臣表彰が行われる他、
各種の行事が行われています。
※交通安全や火災予防など、国民の安全の確保について顕著な功績をあげた方々を表彰するものです。
童謡の日
1918年(大正7年)
7月1日、童話童謡雑誌「赤い鳥」が創刊されました。
それに由来し、日本童謡協会が1984年に制定しました。
小説家・児童文学者の鈴木三重吉が発刊した
「赤い鳥」の創刊号には
「芥川龍之介」「泉鏡花」「北原白秋」「徳田秋声」
といった多くの文学者の賛同の意が掲載されたほか、
菊池寛や谷崎純一郎らもその後に作品を寄稿し、
日本近代児童文学に大きな影響を与える雑誌と
なりました。
童謡に関する面白い雑学がありましたのでまとめております。
①童謡「シャボン玉」のシャボン玉は子供の命の例え
作詞家:野口雨情が「シャボン玉を発表したのは
大正11年 当時、医学が進んでいなかった為
子供を亡くす親は多かった 野口雨情自身も
最初の女児は生後8日で他界
再婚した妻との間に授かった子供も2歳で他界
後に生まれた男の子も1歳で亡くしています。
子供が生まれて感じた喜びが
あっけなく消えてしまうシャボン玉は、
当時の子供の死亡率の高さを嘆いた曲となっています。
②「手のひらの太陽に」の作者は「やなせたかし」さん
童謡「手のひらを太陽に」を書いたのは、
「アンパンマン」の産みの親、やなせたかしです。
この歌詞を書いたのは1961年(昭和36年)
やなせたかしは既に漫画家でしたが
漫画だったが、漫画の仕事はほとんど無く
テレビ作家、インタビュアー等をこなしていたそうです。
当時は主に4コマ漫画を描いており
時代は、長編ストーリー性のある漫画の流行が
見られたとのことです。
そんなある日、冷たくなった手に懐中電灯を当てると
手が光に透けて赤く見えるのに気づき
自分に元気なくても血は元気に流れているのだなぁと。
そして誕生したのが
♪手のひらを太陽に 透かしてみれば
真っ赤に流れる 僕の血潮 ♪
発表から4年後、1965年、小学6年生の
音楽の教科書に掲載されました。
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